2019年10月04日 16:40 カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:塾
子供に悲しい思いをさせるならそれは教育ではなく、萎縮させるならそれは躾ではない
※本日もブログ内に過激な表現を使います。苦手な方は閲覧をご遠慮ください。
さて、職業柄、打ちひしがれた子供に出会う事が多くあります。
勉強ができなくて学校の先生に怒られた。間違えて馬鹿にされた。一生懸命考えたのに分からなくて責められた。何度説明されても分からなくて怒鳴られた。
など、理由は様々です。
それで、かわいそうに勉強が嫌いになり、怖くなり、あげく学校へ行けなくなってしまう。
世間でもよく見聞きし、ある意味「当たり前」とも思われています。
それでひねくれても本人のせい。
こうした現状に私は一言申し上げます。
そんな事が教育だと本気で思ってるなら今すぐやめちまえ
教育は、国を豊かにし、社会を豊かにし、個人を豊かにする為にこそあります。
子供を明るく豊かに育むのが教育の最大の役割です。
その教育の名を借りて子供の心を傷つけ苦しませるなら、
それは断じて教育とは呼ばない。
子供達には教育を受ける権利があります。
「分かった」「出来た」という喜びを味わい、進学という次の成長のステージに上がり、大人になった時に、頭の中にたっぷりと蓄えた知識や考えかたを使って、未知なる困難を乗り越えていく。
それが教育であり教育者はその実現の為に存在するのが本来です。
学問には苦しみが伴いますので、へこたれそうな子供に檄を飛ばす事は有りでも、
子供に悲しい思いしかもたらさないなら、それはもう教育ではありません。
そんな勉強なら、しない方がよっぽど幸せです。
躾にも同じ事が言えます。
子供が、自分もそして他人も楽しくこの世を生きて行くために必要なのが躾の根本です。
その躾の名目で子供を萎縮させてしまっては、躾の意味がありません。
教育は子供の人生を豊かにしてこそ教育であり、躾は自他共に快適な生活を目指してこそ躾です。
本日、ある理由から学校へ行けなかった子が、塾に来てくれました。
以前からしばらくその子の学習を見ていたのですが、
「勉強が楽しくなりました。大学へ行く夢が出来ました。今から楽しみです」と言ってくれました。
こうした時、教育者としての役割を万分の一でも果たせたと、嬉しさが込み上げてきます。
自分以外のものになろうとしてはいけない。人生は人に見せるためのものではなくあなたのためにある。幸せに生きるために。
怒涛の愚痴ブログ。大学教授という名の馬○野郎
弱さと向き合おう。人間の成長はそこから始まる
楽しみだけを追い求めると必ず喜びの無い人生を送る事になる。惨めな人生をおくらない為に必要な事
捨て猫にゃーちゃん塾に来る♪
「何もしない」という事が何よりも大切な時がある。人生を棒に振らないために。
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「何もしない」という事が何よりも大切な時がある。人生を棒に振らないために。
Posted by 仲川学院
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