2018年10月21日 21:50 カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:塾
お前が虐められた時は俺がお前を守る。だから人を虐めるのはよせ(前編)
さて本日は、岡崎市で発達障がい・不登校を支える会「ゆい」さん他、共催の講演会に出席して参りました。
講師の先生の講演、そしてパネラーとなって不登校になった原因やその時の気持ちを語ってくれた8人の不登校当事者の方々に、心から拍手を贈りたい内容でした。
これらの問題の根本的な解消のためには、当事者、周辺当事者のみならず、社会全体の理解が必要です。機会とお時間があれば、皆さんも是非足をお運びください。
いじめの壁
そして見過ごせない課題も大きく浮かび上がってきました。
いじめです。
パネラーの方々の半分は、いじめが不登校の原因でした。
生徒同士のみならず、教師からいじめを受けた方もおみえになりました。
そして心に負った深過ぎる傷から、何年もたつのに未だに立ち直り切れてはおられない様子も見受けられました。
いじめの撲滅は可能か
このような事は断固、社会から排除していかなければなりません。
しかし現実には大変な困難を伴います。
理由は多過ぎるからです。
昨夜は会社でいじめられている社会人の方の相談に乗っていました。
人が集まり共同で活動を行う場は、全ていじめの起きる要因をはらみ、実際にそこかしこでいじめが起きています。
問題をややこしくしているもの
いじめの定義を「抵抗不能な腕力、権力、あるいは集団の力を用いて個人を責めるもの」とすると、これは人間として恥ずべき事であり、直ちに無くさねばならないものです。
撲滅は困難と言えども、それを目指さなければならない交通事故に対する姿勢と同じく、いじめの無い社会を我々は目指さなければなりません。
しかしながら、交通事故は無い方がいい、ゼロを目指すべきだというのは見えやすいのに対し、いじめの問題は複雑です。
いじめは時に「正義」「鍛錬」「愛情」の仮面をかぶるからです。
そして交通事故のように、単に取り締まるという事だけでは解決できないからです。
また、中途半端に介入すると、いじめは絶対にひどくなります。
さて、あまりに長いブログを書きますと、途中で消えるという事態にこの間なりましたので、申し訳有りませんが、二度に分けさせていただきます。
続きは後編として書かせていただきます。
自分以外のものになろうとしてはいけない。人生は人に見せるためのものではなくあなたのためにある。幸せに生きるために。
怒涛の愚痴ブログ。大学教授という名の馬○野郎
弱さと向き合おう。人間の成長はそこから始まる
楽しみだけを追い求めると必ず喜びの無い人生を送る事になる。惨めな人生をおくらない為に必要な事
捨て猫にゃーちゃん塾に来る♪
「何もしない」という事が何よりも大切な時がある。人生を棒に振らないために。
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Posted by 仲川学院
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