2018年10月16日 00:53
雑記 夏目漱石著「こころ」
本日は教育論ではなく、単なる雑記であります。
せんだって実家に帰る折があり、私が子供の頃の書架をのぞく機会がありました。
宇宙戦艦ヤマトのムックや宇宙の謎などの本に混じって、他の何よりも懐かしく慕わしい本がそこにありました。
明治書院刊 夏目漱石著「こころ」であります。
オレンジを基調とした装丁も色褪せ、随分と埃をかぶっていました。
もうどこかへいってしまったものと諦めておりましたが、再会できた喜びに、しばらく手に取ったまま身じろぎもできませんでした。
この本をはじめて読んだ頃の、苦く荒んだ日々の思い出もよみがえってきました。
私がこの本を手にしたのは、15才の夏でした。中学三年だった私は、学校に提出する読書感想文用の図書にこの本を選びました。
選んだ理由は決してほめられたものではありません。単に名作と呼ばれる本を選んでおけば、感想文の評価が高まるだろうという極めて下卑た理由からです。
しかし、この本を選んだ事は正解でした。
自分の生い立ちが、人よりもほんの少し恵まれないだけで、世を憎み人を憎み、自分さえ嫌悪して生きていた幼い自分を、根底から変えてくれました。
「私はその人の事を常に先生と呼んでいた。」
この書き出しに、作品が内包する悲劇の予感と、静かな哀愁を感じ、胸に不思議な予感が満ち溢れたのをよく覚えています。
「先生」と呼ぶ事で、これから描き出す人物への親愛を感じさせ、かつ過去形で結ぶ事で、それらは全て過ぎ去った過去になってしまった事を表しています。
それまでまともな読書などした事の無かった私にさえ、この作品を読みたいと思わせてくれた書き出しです。書き出しの優れた事で有名な漱石の作品群の中にあってさえ、随一と言いきれる書き出しであります。
この本に出会っていなければ、間違いなく私は今とは違った人間になっていました。
もしかしたら、生きてはいなかったかもしれません。
人間というもの、人が生きる世の中というものへの、真実の目を開かせてくれた、私の人生の進むべき方向を指し示してくれた作品であります。
近年、この作品への評価評論は大変に軽いものが目立ちます。
明治知識人の苦悩を描いたとするものがそれです。
この作品には、時代を超えて、人間の真実が描かれています。明治の人間にではなく、今を生きる我々に通じる心の在り方が示されています。
その意味では、単に文学の域を超え、聖書や仏典、またコーランにも肉薄する人類の教科書とも言える偉大な著作です。
その事を、現代の読み手も感じ取っているのでしょう。新潮文庫版の発行部数が、昭和27年の刊行以来、累計で700万部をはるかに超えたそうです。
大正3年に書かれた当時からベストセラーであったこと、加えて新潮社以外にも多くの出版社が刊行している事を考えると、一体どれほどの総発行部数になるのでしょうか。見当もつきません。当てずっぽうですが、数千万部に達するのではないでしょうか。
人間の社会が続く限り、この本はこれからも人間と共に在り続けるでしょう。
本作で解き明かした人の心というものの本質を、さらにそれを超えて「良く生きる」とはどういう事なのかを解き明かすべく創作に打ち込んだ漱石は、しかし志し半ばで命を落とします。
享年49才。
後世の人々は「近代100年最大の国民作家」の称号を漱石に贈りました。
Posted by 仲川学院
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