2018年05月13日 11:58  

受験が変えた男





馬鹿の一念、岩をも通し高校にも受かる


のっけから教育者にあるまじき単語から始めてどうもすみません。

私の知っている、ある男の話しをしたいのですがこの男、本当に筋金の入った極め付けの馬鹿だったので仕方ありません。

ウン十年前の事になりますがこの男、随分すさんだ中学生で、学校に来ればしょっちゅう誰かとケンカし先生は殴ってしまうわで、どうしようもないやつでした。

内申なんか当然一桁です。9教科もあるのに、合計して一桁ということは、そうです、そういう事です。全部1です。

ところが一丁前に少しだけは脳みそがありましたので、中三を迎えるにあたり、「俺は本当にこのままでいいんだろうか」と、ブザマにも悩み出しまして、「そうだ。やっぱり高校へ行こう」と思い立ちました。

最初の進路相談で担任にそう告げた所、返って来た言葉は「お前なんかには高校など受験させない」という内容のものでした。

頭にきたこの男、しかしやっぱり馬鹿なので「うるせえ! 俺は◯◯高校に受かってやらあ!」と啖呵を切ってしまいました。

◯◯高校は、当時は合格すると岡崎市内なら誰もが「すごいじゃん」と言ってくれる高校です。受験するにあたっても、内申が30点は必要でした。

その日から彼と、彼に高校受験をさせまいとする学校側との戦いの日々が始まりました。

「しまった。もう少し簡単な高校に受かってやらあと言っておくんだった」と彼は悔やみましたが、言ってしまったものはもうどうしようもありません。ここにも彼の馬鹿さ加減がよく表れています。

合格しなければただの笑いものです。それだけは死ぬほど悔しかったのでこの男、勉強を始めました。

しかしその勉強の難しいのなんの。


「なんだこれ? 5から7なんか引けるわけないじゃないか」「ああ? 藤原のかたまり? なんて変な名前なんだ」

全てがこんな調子で、無駄に時間ばかり食ってさっぱり学習が進みません。

気がつけば徹夜という日々が続きました。

とりわけこの男が苦労をしたのが英語だそうで、読めもしません。

余談ですが、この経験からか、彼は今でも英語は嫌いだそうです。

どうにも困り果てた彼がとった窮余の一策が、やっぱり馬鹿です。「いっその事、全然分かんないなら、教科書丸ごと一冊覚えちまえ! なんとかなるかもしれねえ」

彼はろくに読めもしない英文の丸暗記に挑みました。読めもしないのですから、アルファベット一文字一文字覚えていくわけで、それはそれは大変な事だったそうです。

しかし当たり前と言えば当たり前なのですが、他の生徒の二年分の学習量を数ヶ月でこなせるはずはなく、一学期の成績は暗澹たるものでした。

励ましてくれる人間など一人もいません。

「やっぱ受験なんかやめよう。気ままな人生送ろう。」と一度は思ったそうです。

しかし担任のせせら笑う顔が思い浮かんでくると、それがなんだか、がむしゃらに悔しく、再び机に向かいました。

人生を変えた一冊





そしてとにかく課題の提出が内申に大きく影響を与えるらしい事を知った彼は、人生初の読書感想文にも挑みました。

しかし、やっぱりここでも馬鹿です。その対象本に、それがどれ程難しいか知らないまま、夏目漱石の「こころ」を選んでしまいました。

日本最高の小説家とか言われてるおっさんの本だから、多分いい点をくれるんじゃないかと考えたらしいです。

読み始めてすぐ激しい後悔に襲われたのは言うまでもありません。しかし彼は「いい点を取って挽回するんだ」と執念を燃やして、辞書を片手に読みきりました。

良くは分からないものの、激しい感動を覚えたそうです。この本の内容そのものと、難しい本を読み通したという自信は、彼のその後の人生を大きく変えました。

その頃から、教科書を読んでも、わかるようになって来たそうです。理解のスピードが段違いになり、勉強がはかどるようになってきました。

1日12時間以上の勉強漬けの夏休みが終わった頃から、彼の成績は突然上がり出しました。

頑張っても頑張っても上がらなかったものが上がり出した事は、「続けた努力は突然実る」というわけの分からない格言めいた信念を彼に与えました。

いよいよ秋も過ぎ、冬。徹夜続きで熱を出しながらでも、彼はもう、勉強の手をとめる事はありませんでした。

担任の顔を見ると「フン!」と鼻を鳴らしながら。

終生の恩師



年も押し迫った二学期の終わる数日前、その担任が突然家にやって来ました。

「何しに来やがったこのやろう」と思っていたところ、担任の先生は彼の保護者を前にして言ったそうです。

「お前の努力は良くわかった。俺が味方になってやるから◯◯高校受けて見るか?」と。

「受けるに決まってるだろ」と悪態をつきながらも、彼は泣くのを必死でこらえたそうです。

いよいよ彼の受験レースへの参戦となりました。

しかし彼の確定内申は30点には遠く及ばず、◯◯高校受験者史上、最低の内申点で当日試験に挑むことになりました。

試験当日までの彼の勉強量は、普通に頑張っている受験生の2倍に及ぶものでした。

しかし正直に言って、彼は本当はもう受かる事はないと諦めていたそうです。しかし担任の先生の気持ちにだけは応えようと、努力をやめる事だけはするまいと、ただそれだけのために頑張っていたそうです。

俺の合格発表を返せ





当日試験が終わり、解答速報を見ながら自己採点をし、担任の先生に報告に行った時、「お、すごい点だ。学年トップじゃん。良く頑張ったな」と言われた時、彼はすがすがしい気持ちになったそうです。先生の恩義にだけは応えられたと。滑り止めの方の私立高校で、今度は初めから勉強をし直そうと、彼は決心していました。

合格発表の日、担任から「見に行くように」と言われていたので、一応は見ておくか、という気持ちで高校へ出向きました。

その道中いろいろ考えたそうです。「自分の番号の載ってない発表なんか見て意味があるのか」「いや、もしかしてなんかの間違いで載ってたりして」など。そう思い出すとドキドキしてきました。

先に発表を見てきた同級生が彼と顔を合わすなり言ったそうです。

「うちの中学から受けたやつ、誰も滑って無かったぞ」と。

大バカ野郎、俺の目でそれを確かめたかったのにと、彼は思いましたが、もうどうにもなりません。






本気の努力は敵さえも味方にし、人生を根こそぎに変えます。

どうしても今が辛いなら、この話を思い出してみてください。

奮起しましょう。立ち上がりましょう。人生変えましょう。

この筋金入の大馬鹿男は、今では学習塾なんぞの先生になっているそうです。

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Posted by 仲川学院 │コメント(0)
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