2018年12月14日 19:18  カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:

私ばかり不幸になるという人の共通点



本日のブログは教育論から離れます。

書こうか書くまいか随分迷ったテーマです。

というのは、大方の人にはご納得いただけると思うのですが、ある一定の方には辛辣な悪口として捉えられかねない話しだからです。

ですが悪口に聞こえてしまう人ほど、一度フラットな心で、ブログの内容をよくお考えいただければと思い、やはりアップさせていただく事にしました。

なお事例は、少しでも教育論を期待してお読みくださる方のために、親と子の問題をメインにさせていただきます。



私も50歳を少々過ぎまして、いろんな人達を見てきました。また職業柄お母様方、時にはお父様からの相談をよくお受けします。最初は子供の教育相談なのですが、いつのまにか人生相談に変わっており、なにげに離婚の危機を救ってしまったなんて事もあります。

しかしながら時に「私ばかり不幸になる」と嘆いてばかりで、一向に事態が改善されていかない方に、時々出会う事があります。

そうした方々に共通する三つの点について、書いてみたいと思います。

特徴1
考える事を放棄している



悩む事、迷う事は「考える事」ではありません。「考える事」というのは困難をどう解決するか、出来る限り具体的な作戦を立てる事です。

いろんな人達からアドバイスを集めるだけ集めるのに、何も行動しない人がいます。

例えば、よく相談される事例に「子供が口をきいてくれない」「子供が何を考えているのか全然わからない」というのがあります。

こうした親子の断絶が生じている場合、「腹減ってないか?」「寒くないか」「それは悲しいねえ」など、情緒的会話を持ちかけ続けるしかありません。

多くの人はそれを実行するわけですが、時々「でも」「だって」という方がいます。

そして続く言葉はたいてい決まっていて「やるのが大変だから」そして結論は「できないです」となります。

アドバイスの内容を自分なりによく吟味する事は大切ですが、実際に行動しなければ何もなりません。事態は変わりません。

アドバイスをどうやって、自分が直面している問題に対し活かしていくか、アレンジしたり工夫するのが、考える事です。

しかしながら見事に「大変そうだ」だから「できない」と直結させてしまう人がいます。

それでいて出来ない事に対する言い訳は実に良く考えます。

これでは事態の改善されるはずはありません。

かくして不幸の中にとどまる事になります。

特徴2
何故か特別な幸せを求めている




恋人として容姿のとりわけ優れた人を求める。配偶者に現実的でない年収を求めるなど、人よりも抜きん出た幸せを追い求めてしまう人がいます。

人並みに満足する事は決してありません。

しかし、立ち止まって考えれば、自分の事を思ってくれるパートナーがいる事は、それだけでも充分に幸せな事です。

愛する子供が元気で生きている。

それだけでも恵まれたことではありませんか。

冷静に周囲を見回してみれば、幸せと共に在る人がほとんどです。

もちろん、貧困や孤独に耐えて生きていらっしゃる方も多くおみえになります。

しかしながら私の知人に、ステージ4の癌を患いながらも必死に生き、明るい笑顔で人生を送っている方もいます。

癌になった事で、逆に生きている事、何気ない日々の暮らしや出来事に感謝の気持ちを持つ事が出来るようになったそうです。

「今」「そこに在るもの」に感謝し、それらの中に幸せを見出していく事は大切な事だと思います。

特徴3
とにかく他罰的である




日頃は「どうせ私なんか」「私はダメな人間だから」と言いながら、一朝事が起こると、途端に人や運命などのせいにする人がいます。

自分の人生を自分で背負う覚悟の無い人です。

他人や運命やらが自分を幸せにしてくれるわけではありません。

自分で考え、自分で決断し、自分で責任を負う事でしか、人生は開けては来ません。

最後にこの言葉でブログを結びたいとおもいますが、

自分を幸せに出来ない人は、人を幸せにする事は出来ません。

今愛するパートナーがいる人も、これから先に出会う人も、そして愛する我が子がいる人も、これからその手に抱く人も、この事は良く覚えておいて下さい。

「誰か」も「何か」もあなたを幸せにはしてくれません。

自分の力で、自分の人生を歩みましょう。

そこに幸せはあります。








  
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Posted by 仲川学院 │コメント(0)