2018年10月20日 00:07  カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:

大学よ頑張ってくれ



9月のAO入試で合格者をすでに輩出し、11月の公募推薦、続く2月の一般入試で、今年は全員第一志望の大学に受からせてみせます。

俺は絶対にやる。

教え子の落胆の涙を見るのは二度と嫌だ。

私達がそう言う気持ちで腕によりをかけ手塩にもかけた教え子達を受け入れる大学に期待する事は、

決して彼らを甘やかす事なく、価値を生み出す力を持った人間に育ててやって欲しい、という事であります。



その為に塾生に常々言っている事が有ります。

大学はものを教えてくれる所ではない。自分から学び取りに行く所だ。そして学び取りに行けば、いくらでも素晴らしいものをつかませてくれる所だと。



日本はこれから超少子高齢化社会を迎え、そしてその時代が終われば、人口減少社会に突入します。

このままでいくと、豊かな国内市場は無くなる事を意味しています。日本の富は急速に失われていくでしょう。

その事と昨今の若者の生き方を併せて考えると、経済の原理として好景気がやってきたとしても、それは一部の経済競争能力のある人間に独占され、多くの人はその恩恵を被る事のないまま、再び不況に突入していくでしょう。

またもしかしたら、もっとグローバルに景気変動が起こり、日本が丸ごと取り残されるのかもしれません。

ベトナムやアジアの留学生と話す機会が有りましたが、彼らはがむしゃらに勉強しています。

木造アパートに暮らし、カップラーメンをすすりながら懸命に勉学に励んでいます。祖国の為に、自分の為にと。

まるでかつての日本人です。

試練を避けて済まそうとする気質を何とかしなければ、今の日本の若者では、彼らにはとても敵わないでしょう。

早晩、日本が置いていかれる日が来るような気がします。



今からの時代に生き残っていく為には、既存の価値の配分に預かろうとするのではなく、自ら新しい価値を生み出していかなければなりません。

いかに学んだ事を活かして、成功の確率を高めた挑戦をし続けていけるかに、個人の成功も国家の存続もかかっているように思います。

大学の本来の目的はそこにあったはずです。

また大学の偏差値も根本的には、有為な人材を社会にどれだけ輩出できたかで決まります。

私の大切な大切な教え子たちを受け入れる大学は、学生と共に花開く事を目指す学府であって下さい。

心からお願い致します。



















  
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2018年10月18日 23:26  カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:

助けて欲しい時に助けて下さいと言う勇気



精神保健福祉士一般養成学校時代の恩師の教えにこういうのがありました。

「自立とは一人で生きる事を目指すのではない。正しい依存関係を築く事だ」

未だにこの言葉をよく思い出します。

かつての教え子に先立たれた今は、とりわけ身にしみます。

我々の社会は、互いに助け合う事で成り立っています。

例えば、

今日食べる米を、私は農家の方々に頼っています。農家の方は私の払うお金に頼っています。

病気になれば医師に助けてもらいます。医師は私達の払う実費と健康保険制度に収入を依存します。

誰も一人では生きていけませんし、一人で生活を完結させている人間を私は知りません。

自分ができない事は「できません」というのは当たり前の事です。

「できないから誰か助けて下さい」というのも、極めて自然な話です。

もちろん、自分でできる事なのに、大変だとかめんどくさいなどの理由で人にやってもらう事は論外です。なのでこれは別の話として置いておきます。

人に助けを求めるには勇気がいります。恥をしのぶ覚悟もいります。

ですがそれを乗り越えて「助けて下さい」というのは、私は勇気ある正しい行為だと思います。

「先生、この問題が分かりません。教えて下さい」と言えない子がいます。

おそらく、過去にそう言った時に、ひどく誰かに怒られ続けた事があったのでしょう。

それで萎縮する気持ちは良く分かります。

しかし良く分かるからこそ、私は「教えて下さい」「助けて下さい」と子供が言えなかった時、敢えて厳しく叱ります。

逆にそれが言えた時は、「偉かったね。勇気を出して分かりませんと言えたね」と、精一杯ほめてやります。そして出来る限り分かりやすく、そしてあたたかく教えてやります。

もう自分の力ではどうしようもなくなった時、子供が「助けて下さい」と言うのは、私は勇気だと思います。

周囲の大人は、力の及ぶ限り、助けてやろうではありませんか。

子供が絶望し、命を落とす前に。











  
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2018年10月17日 23:09  

子供が生きてさえいてくれるなら、



世のお父さんお母さん、
子供が生きてさえいてくれるなら、その事にまず感謝しようではありませんか。

私が今の教育の道に入ったのは、実はサラリーマン時代の仕事の相棒に自殺された事に端を発します。

ショックのあまり職を辞し、精神保健福祉士を目指し、専門学校に入学しました。

その間のアルバイトに、塾講師をしていたところ、生徒達が様々な悩みを私に打ち明けてくれました。

「先生私はもう死にたいです」と相談された時、この道を進む事が亡き相棒への最高の償いになると思い、本職にする決心をしました。

現在に至るまで、学問ばかりでなく命の大切さ、楽しく生きる術を子供達に教えて来たつもりもあり、また自負もありました。

ですが本日、かつての教え子の訃報を知らされました。

自殺だったそうです。

私が伝えてきた事、教えてきたと思っていた事は、ほんの上っ面の自己満足の、教えたつもりになっていた事に過ぎませんでした。

際限無く悔やまれます。

私は、もう一度、生きるとはどういう事か、幸せになるとはどういう事なのか振り出しに戻して考え、あらためて教育をする者としての原点に返って修行をやり直します。

世のお父さんお母さん、

子供の出来が多少は悪かろうが頭が少しばかり足りなかろうが、とにかく今元気で生きていてさえくれるなら、

その事に、子供に感謝しようではありませんか。











  
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2018年10月16日 23:53  カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:

センター試験を受けるとデメリットしか無いのに受験させる学校



まだ間に合うと思いますので投稿させていただきます。

センター試験を受けてメリットがある人
①国公立大を受ける人(必須)
②学校から推薦書をもらって受験に挑む人
③センター利用枠が極めて多い私大を受ける人

逆にデメリットになる人
上記以外全ての受験生

であります。

にもかかわらず、高校は「大学を受ける者はセンター試験を受験するのが義務だ」と言わんばかりにその受験を押し付けてきます。

今年も多くの受験生が、センター試験の申し込みを強要されました。

センター試験制度そのものに異は唱えませんし、良問の宝庫だという事も充分に認めます。

私の専門分野である現代文に限って言えば、感動すら覚える見事な設問に出会う事もしばしばあるほどです。

しかしながら、第一志望が私立大学である場合、センター利用はほとんどが不利です。

国公立大受験で成功を収めるには、グレードゼネラリストを目指すわけですが、私立難関大学を受験するのであれば、自分の受験科目のスペシャリストを目指さねばなりません。

勉強のやり方そのものが異なってきます。

またセンター利用の募集人員は、大学により異なりますが、せいぜい5人とか、多くて20人程度です。

極端に狭き門になってしまい、受験の困難さを増してしまいます。

にもかかわらず、ほとんどの高校はセンター受験を強要します。

そしてほぼ断りきれずに、多くの生徒が受験申し込みをさせられてしまいます。

この毎年起こる不可解な事象の原因は謎です。

なので私立大第一志望の塾生が申し込みを済ませてしまった場合、「単なる模試のつもりで受験しなさい。特別な対策は決してしないように」と指導しております。

過去にこんな事がありました。

順調に成績を伸ばしてきた受験生が、やはりセンター受験を学校から強要されました。

どうしたら良いですか?と相談されたので、「断っておきなさい」と指導しました。

生徒は「はい分かりました!断ってきます」と返事をしたので、とりあえず安心しておりました。

ところが、

秋の深まった頃より、どうも彼の成績の伸びが鈍化してきました。

もしかしてと思った私が「まさかセンターの対策に時間を取られてるんじゃないだろうね?」と尋ねたところ、「そんな事はありません」と答えました。

しかしいざ蓋を開けてみたら、

彼はセンター試験を申し込まされており、その為に学校が行う補習に参加しておりました。しかも自分の志望校の受験に関係の無い科目の対策にまで時間を割いていました。

彼は、第一志望は言うに及ばず、滑り止めに想定していた大学も落ち、思ってもみなかった下位大学にしか、合格通知をもらえませんでした。

彼の失意の姿は、もう何年も経つのに未だに私の心を苛みます。

センター試験の為に、ペースを狂わされてしまう受験生もいます。

センター試験を受験するなとは言いません。

しかし、センター試験が必須なのか、センター利用枠がどのくらいあるのかしっかり自分で調べ、そして自分の第一志望の個別試験がセンターの傾向に近いのか遠いのかもしっかりと見定めた上で、センター対策をするかしないかを決めてください。

学校の指導を盲信する事があってはなりません。  
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2018年10月16日 00:53  

雑記 夏目漱石著「こころ」



本日は教育論ではなく、単なる雑記であります。

せんだって実家に帰る折があり、私が子供の頃の書架をのぞく機会がありました。

宇宙戦艦ヤマトのムックや宇宙の謎などの本に混じって、他の何よりも懐かしく慕わしい本がそこにありました。

明治書院刊 夏目漱石著「こころ」であります。

オレンジを基調とした装丁も色褪せ、随分と埃をかぶっていました。

もうどこかへいってしまったものと諦めておりましたが、再会できた喜びに、しばらく手に取ったまま身じろぎもできませんでした。

この本をはじめて読んだ頃の、苦く荒んだ日々の思い出もよみがえってきました。

私がこの本を手にしたのは、15才の夏でした。中学三年だった私は、学校に提出する読書感想文用の図書にこの本を選びました。

選んだ理由は決してほめられたものではありません。単に名作と呼ばれる本を選んでおけば、感想文の評価が高まるだろうという極めて下卑た理由からです。

しかし、この本を選んだ事は正解でした。

自分の生い立ちが、人よりもほんの少し恵まれないだけで、世を憎み人を憎み、自分さえ嫌悪して生きていた幼い自分を、根底から変えてくれました。

「私はその人の事を常に先生と呼んでいた。」

この書き出しに、作品が内包する悲劇の予感と、静かな哀愁を感じ、胸に不思議な予感が満ち溢れたのをよく覚えています。

「先生」と呼ぶ事で、これから描き出す人物への親愛を感じさせ、かつ過去形で結ぶ事で、それらは全て過ぎ去った過去になってしまった事を表しています。

それまでまともな読書などした事の無かった私にさえ、この作品を読みたいと思わせてくれた書き出しです。書き出しの優れた事で有名な漱石の作品群の中にあってさえ、随一と言いきれる書き出しであります。

この本に出会っていなければ、間違いなく私は今とは違った人間になっていました。

もしかしたら、生きてはいなかったかもしれません。

人間というもの、人が生きる世の中というものへの、真実の目を開かせてくれた、私の人生の進むべき方向を指し示してくれた作品であります。

近年、この作品への評価評論は大変に軽いものが目立ちます。

明治知識人の苦悩を描いたとするものがそれです。

この作品には、時代を超えて、人間の真実が描かれています。明治の人間にではなく、今を生きる我々に通じる心の在り方が示されています。

その意味では、単に文学の域を超え、聖書や仏典、またコーランにも肉薄する人類の教科書とも言える偉大な著作です。

その事を、現代の読み手も感じ取っているのでしょう。新潮文庫版の発行部数が、昭和27年の刊行以来、累計で700万部をはるかに超えたそうです。

大正3年に書かれた当時からベストセラーであったこと、加えて新潮社以外にも多くの出版社が刊行している事を考えると、一体どれほどの総発行部数になるのでしょうか。見当もつきません。当てずっぽうですが、数千万部に達するのではないでしょうか。

人間の社会が続く限り、この本はこれからも人間と共に在り続けるでしょう。

本作で解き明かした人の心というものの本質を、さらにそれを超えて「良く生きる」とはどういう事なのかを解き明かすべく創作に打ち込んだ漱石は、しかし志し半ばで命を落とします。

享年49才。

後世の人々は「近代100年最大の国民作家」の称号を漱石に贈りました。  
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2018年10月13日 23:22  カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:

あなたが本当に腹立たしいのは実は子供ではないかもしれない



子供の「困ったところ」を改善させるには、もちろん叱る事は大切ですが、それよりも、良い事、良い行動が出た時にほめる事の方が大切です。

と、口を酸っぱくして言っているのですが、

「先生、でもうちの子、ほめるところがないんです」とまた今日も、、、

そんな事のあるはずはありません。

今まで数え切れない子供達をみて来ましたが、良い所の一つもない子に出会った事はありません。

第一、叱られた後、子供は親の言う事を一度は聞き入れるわけで、それはほめるべき「良い反応」です。

子供が暴れる。お母さんが怒る。子供は何とか自分を抑えて粗暴な行為をやめる。「お前がお母さんの言う事を聞いてくれて嬉しい」と抱きしめてほめてやるチャンスです。

子供がへんないたずらをする。親が怒る。子供はいたずらをやめる。「ちゃんと言う事を聞いたな。偉いぞ」とほめるチャンスです。

「叱る」と「ほめる」は必ずワンセットです。

叱りっぱなしは、それがどんなに正論であっても、事態を悪くします。

つい子供にガミガミ、グチグチ言ってしまう方は、ある事を疑ってみてください。

もしかして、自分が本当に腹立たしいのはこの子ではないのかもと。

夫婦間の問題、その他家族の問題、あるいは職場の嫌な思いなどを子供にぶつけてしまってはいないでしょうか?

子供を叱っても正当化される場面を見つけた時に、その子には責任の無い不満や鬱憤までぶちまけてしまってやしないでしょうか。

多くの方は「ほんとにそんなひどい親いるの!?」と驚かれるでしょうが、どっこい、結構います。

怒りや不満は、それをもたらしている本当の対象に向かって、正しくぶつけましょう。
そうでなければマイナスの感情の消える事はありません。

子供に自分のコンプレックスやら鬱憤から来る怒りをぶつけ続けると、子供は必ず壊れます。

反抗期を迎える年頃に、親に「反抗」ではなく「復讐」をするようになります。「うちの子は反抗期が物凄くて」と言うのがそれです。

反抗とは親の意見と自分の意見が違った時に、子供が自分の意志を通そうとする事ですが、単なる暴言や暴行が続くなら、先に述べた事をし続けてこなかったか、ご自分を疑ってみてください。

またあるいは全く逆に子供が無気力になってしまう場合があります。

話しかけても返事もしない。勉強もしない、学校も行かない。何を考えているのかさっぱり分からない。人とうまく関われない。

こうなってしまう方が実は厄介です。

叱るとほめるはワンセット。
関係の無い怒りを子供にぶつけない。

覚えておいて下さい。








  
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Posted by 仲川学院 │コメント(2)

2018年10月12日 20:31  

努力は裏切る。だから努力は大切だ



さて、今頃は皆さん、「この先生、働きすぎて頭おかしくなったんじゃないか?」「裏切るなら何故大切にしなければならないんだ」「タイトル書き間違えたのか」と、あれやこれやお思いの事と存じます。

しかし至って正気であります。

書き間違いでもありません。

「努力は裏切らない」というのは、教育家のつく最大の嘘であります。

「あんなに頑張ったのに試合に勝てなかった」「メダルが取れなかった」「志望校に受からなかった」などの場面を何度も経験し、あるいは目の当たりにして来られた事でしょう。

そうです

「努力は裏切る」のです



実る可能性のが低いのです。

それを子供に「努力は裏切らない!」とか言ってしまうので、なんだかおかしな事になってきます。

しかし努力をした分だけは必ず自分の実力は上がりますし、それは別の場面、別の所で花咲く可能性があります。

実る可能性の低い花ならば、種をまく量を多くしなければなりませんし、手入れも、より念入りにしていかなければなりません。

この「種をまく」事と「手入れをする」事がすなわち努力です。

努力というものはとにかく花が咲かないものなので、だからこそ逆に多くの努力を尽くしましょう。

またいろんな事を頑張ってやっていれば、自分の得意不得意が真に明らかになってきます。

そうなれば自ずと自分の進む道も見えてきます。

学校で9教科も叩き込まれるのはその為です。

志望校をどこにしたら良いか分からない、どんな仕事に就いたらいいかわからないという事も無くなります。

やっぱり努力はしようではありませんか。

最後に、私が座右の銘の一つとしている、愛してやまぬ往年の映画「男はつらいよ」のテーマソングの一節をご紹介して、本日のブログを結びたいと思います。

どぶに落ちても芽のある奴は、いつかは蓮の花と咲く



皆さんの努力に、良い実りがありますように。









  
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2018年10月11日 18:47  カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:

文句を言う生徒は宝物



勉強を教えておりますと、大抵の生徒は大人しく指導に従いますが、中にはこう言う子もいます。

「何で勉強なんかしなきゃいけないんだ!」
「歴史なんか覚えたって意味ないじゃん」
「数学なんか社会に出て使わないじゃん」



確かにその通りです。

実学と呼ばれる分野はともかく、日常の暮らしに因数分解やら古代文明の興りなんぞは顔を出しません。

なので先のような質問、というか必死の勉強逃れの為の文句を言われると、こちらも一度立ち止まって考えねばなりません。

「一体、学校で教えてるこれって、何のためなんだろう?」と。学問する意義を根本から考えさせられる事になります。

これは間違い無く指導者の実力を高めます。

そう言う子らと共に考え、その子ら共々納得できる答えを見つけ出せた時、子供は変わります。また指導者も一段高みに登る事になります。信頼関係も強くなります。

同様の理由で、

「センセー早口で何喋ってるか分かんない!」
「説明が長すぎてこんがらがる!」

などの文句も大歓迎です。

先程の通り自分の実力をあげるヒントになるからです。

私は生徒の言った文句は大事にします。文句を言う生徒は本当に宝物です。

良く考えて、やはり生徒の側が間違いだと分かった場合のみ反論するようにしています。悪ければきっちり叱ります。

やみくもに発言を封じて「俺の言う事を聞け」では、反抗期を迎えた子供は言う事を聞きません。

もしかしたらこのやり方は、子育てにも通用するかもしれません。もしかしたらですが。




屁理屈ばかりこねる子にも「ひょっとしたら一理あるのかもしれない」と考えてやる事は、親子関係を大きく改善するかもしれません。

教育は洞察力です。

「何でこの子は暴れるのか」「何で怒っているのか」「何で分からないのか」

それらの原因を、子供を叱る前に、一度立ち止まって考えてやる事無しに教育は成功しません。

子育ても、案外そうなのかもしれません。










  
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2018年10月10日 00:39  カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:

不登校とご飯



開業して4年。未だに押しも押されもする我が塾であります。

その間に一般の生徒に混じり、来てくれた不登校の子達は現時点で26名。

うち18名は復学し、高等学校へ進学し卒塾。高校入学後も大学進学を目指し在塾中は2名。登校再開に備えて在塾中は4名。病状の悪化により入院し退塾した者1名。児童相談所に保護された者1名であります。

ちなみにうちの入塾一号生は不登校の子でした。

「たとえこいつ一人の為にでも俺はやる」といきり立って塾を始めたのが昨日の事のように思い出されます。

私は不登校の子を受け入れるにあたり、彼ら彼女らと一つ約束を交わします。

「俺は学校へ行けとは絶対に命令しない」

という事であります。

そしてその子らが学校へ行けない理由、行けなくなった理由を探ります。

もちろん本人に負担をかけないよう慎重に。

ある時は小児精神科に赴き、またある時は学校と直接やりあったり。夜中に家出した子を、ご両親と共に探しまくったり。

勉強も、今できる事をできるようにやるという事をモットーに、決して無理はさせません。

しかし、たった一つだけ私が彼らに対して厳しく諭している事があります。

「飯は三食きちんと食え」

という事であります。

好き嫌いが有ってもいいから、食えるものをきちんと食えという事であります。

飯をほぼ決まった時間に食べるようにしていれば、昼夜逆転を防ぐ事ができます。体も養えます。気力も養えます。

また、親が作ってくれたあったかいご飯は、体のみならず心の栄養になります。

苦しんでおられる不登校当事者と周辺当事者の方には大変失礼な言い方になりますが、

人間として最も重要な事を後回しにしてしまっては復学も何も有ったものではありません。

学校をどうするかは後回しでいい。

まず飯をしっかり食おう。

しかし、それをさておいて「この子を1日でも早く復学させてください」という親御さんに出会うと、心底やれやれと思います。

そうしたご家庭では、必ず食事時にもめるようです。

せっかくの美味しいご飯を目の間にして、「学校はどうするんだ」「将来はどうする気だ」とまくしたてられては、食欲の起きるはずもありません。

かくして孤食が始まり、生活のリズムが乱れ、復学は困難さを増していきます。

世のお父さんお母さん、

何があろうが、せめて飯だけは明るく楽しく、一緒に食べましょう。

案外そうした事が、事態を改善させていくものです。








  
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2018年10月09日 00:24  カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:

それでもやはり腹わたは煮え繰り返る



以下のようなニュースを見ました。

Y!ニュースより転載。配信元メーテレ。







児童相談所の対応が遅れたため、女児が親から大怪我を負わされたというもの。

私は児童相談所の批判をするつもりはありません。

大方の相談には適切に対処し、必要とあらば保護も辞さず問題の対応にあたっておられると思っています。

しかしながら私の教え子で、以前こんな事が有りました。

日頃から母親といがみあっていた子が児童相談所にこんな嘘をつきました。

「親に虐待されています。ご飯も食べさせてもらえません。お母さんに包丁で刺された事もあります。」

児童相談所が血相変えて飛んできて、ろくに調査や裏付けも取らずにただちに保護。

その後親に何通もその子に対する謝罪文を書かせた上、子に対して正式に謝罪させた事がありました。

子供が帰されて、医師立ち会いのもと、改めて事実関係を調べたら、全部子供のついた嘘だった事が判明しました。

子供が児童相談所を使って親に復讐を果たしたわけです。

またこんな事もありました。

教え子が大量かつ複数回の万引きを働き、父親がその子を殴りました。

ご両親は子供の更生を願って児童相談所に相談したところ

「虐待の痕跡が発見されましたので保護します」との結論。

そしてあっけなく保護の開始。

ご両親が泣いて私のもとへ相談に来られました。

行政不服審査請求しましたが、残念な事に当事者であるご両親の心が折れてしまい、最後まで戦えませんでした。

教え子とは会えずじまいになってしまいました。

あれほど悲しい思いをした事は、創業以来ありません。

そうかと思うと

現在抱えている事案として、ハンデを背負った子が、両親に家庭内暴力を振るい、双方が刃物まで持ち出す事態になっているのに、児童相談所は単に相談を受け付けるだけ。

何も動いてくれません。

子供を守る為、児童相談所は、大方は必死になってくれているとは思います。

しかしそれでも、こうしたニュースを見るたび、腹わたは煮え繰り返ります。

民間で無資格、無権限でも、こうした支援から置き去りにされる子供達のために、これからも私は戦って行こうと思います。

世のお父さんお母さん。

どうか子供は可愛がって育ててやってください。

怒鳴って育てた子は、必ず人に怒鳴る人間になります。

殴って育てた子は、必ず人を殴る人間になります。

どうかその事だけは忘れないで下さい。









  
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