2018年10月21日 22:47 カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:塾
お前が虐められた時は俺がお前を守る。だから人を虐めるのはよせ(後編)
さて、後編であります。
申し訳有りませんが、リンクのやり方が分かりませんので、前編は記事一覧からご覧下さい。
「お前の悪い所を直すために」「みんなが迷惑するから」そして究極的には「お前を愛しているから」など、怒りの矛先を向けるのに一見正当な理由が見つかった時、もっとも解決困難ないじめが始まります。
しかし繰り返しますが、太刀打ちできない腕力や権力、あるいは集団で人を責めるのはいじめです。
これも繰り返しますが、
それはどのような理由があっても許されない事です。
注意や抗議はすれば良いと思います。ケンカも、対等な者同士ならやれば良いと思います。
しかしいじめは絶対に駄目です。止めるべきです。
とは言えいじめを止めるには大変なリスクを伴います。
中途半端では余計にひどくなりますし、対応を誤ればこちらの職業生命も危うくなります。
それでも我々教育を生業とするものは、そこに挑まねばなりません。
参考までに、私がいじめを止めた実例を二件だけ紹介させていただきます。
「お前が虐められた時は俺がお前を守る。だから人を虐めるのはよせ」
ある子が下級生の集団にからかわれ、塾に来られなくなってしまった事がありました。
いじめている側も、それをいじめと思っていない場合があります。単なる「親しみ」の情だと勘違いしていました。
なので関係者全員を集めて、まず「君たちのやっている事はいじめだ」と説明をしましました。
下手を打てば塾生の大半を失い、経営難に陥る事も覚悟した上での事です。
案の定、様々な異論反論が巻き起こりました。
しかし「君たちは学校か家か、どこか別の所で生じたうっぷんを、先輩の優しさに漬け込んで晴らしているんだ」と、いじめの構造を解説し、それがどんなにしてはならない事なのかを理解させ、最後に太字にした言葉を彼らにかけてやりました。
俺が守るのは一人じゃない。全員を守る。今回はたまたまその子を守るが、全員が俺にとって大切な存在だ。大切な存在同士が傷つけ合うな。
そう言って諭したところ、問題は即時に解決しました。
いじめる側を叱るだけでは絶対に駄目です。それでは片手落ちです。
なぜならいじめる方にも、実は苦しみがあるからです。
そこを理解しないいじめ対策は、失敗に終わる可能性が高くなります。
学校は文書で無ければ動かせない
さて、その件の後、今度は学校で私の塾生の一人がいじめを受けました。
私が彼らと交わした約束を果たす時が来ました。
学校とはその子のご両親を交えて話し合ったのですが、「よく気をつけて見守ります」と、誠実な言葉で応えてくれるものの、さっぱり動いてはくれません。
このままでは約束を果たしてやれません。
なので私は今後学校から圧力か報復が来る事は覚悟の上で、彼から聞き取ったいじめの事実を陳情書としてまとめ、保護者の署名捺印をもらって、私の塾からの文書として学校に提出しました。
一発でいじめが止まりました。
実は以前に生徒のために、生活保護の代理申請をした事があり、その時に「役所は文書でしか動かない」という事を実感したので取った作戦でしたが、やはり学校も役所なんだなあと思い知った事件でした。
今回のブログは、まとまりに欠く内容になってしまいましたが、何かの参考になれば幸いです。
Posted by 仲川学院
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2018年10月21日 21:50 カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:塾
お前が虐められた時は俺がお前を守る。だから人を虐めるのはよせ(前編)
さて本日は、岡崎市で発達障がい・不登校を支える会「ゆい」さん他、共催の講演会に出席して参りました。
講師の先生の講演、そしてパネラーとなって不登校になった原因やその時の気持ちを語ってくれた8人の不登校当事者の方々に、心から拍手を贈りたい内容でした。
これらの問題の根本的な解消のためには、当事者、周辺当事者のみならず、社会全体の理解が必要です。機会とお時間があれば、皆さんも是非足をお運びください。
いじめの壁
そして見過ごせない課題も大きく浮かび上がってきました。
いじめです。
パネラーの方々の半分は、いじめが不登校の原因でした。
生徒同士のみならず、教師からいじめを受けた方もおみえになりました。
そして心に負った深過ぎる傷から、何年もたつのに未だに立ち直り切れてはおられない様子も見受けられました。
いじめの撲滅は可能か
このような事は断固、社会から排除していかなければなりません。
しかし現実には大変な困難を伴います。
理由は多過ぎるからです。
昨夜は会社でいじめられている社会人の方の相談に乗っていました。
人が集まり共同で活動を行う場は、全ていじめの起きる要因をはらみ、実際にそこかしこでいじめが起きています。
問題をややこしくしているもの
いじめの定義を「抵抗不能な腕力、権力、あるいは集団の力を用いて個人を責めるもの」とすると、これは人間として恥ずべき事であり、直ちに無くさねばならないものです。
撲滅は困難と言えども、それを目指さなければならない交通事故に対する姿勢と同じく、いじめの無い社会を我々は目指さなければなりません。
しかしながら、交通事故は無い方がいい、ゼロを目指すべきだというのは見えやすいのに対し、いじめの問題は複雑です。
いじめは時に「正義」「鍛錬」「愛情」の仮面をかぶるからです。
そして交通事故のように、単に取り締まるという事だけでは解決できないからです。
また、中途半端に介入すると、いじめは絶対にひどくなります。
さて、あまりに長いブログを書きますと、途中で消えるという事態にこの間なりましたので、申し訳有りませんが、二度に分けさせていただきます。
続きは後編として書かせていただきます。
Posted by 仲川学院
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