2018年10月16日 23:53  カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:

センター試験を受けるとデメリットしか無いのに受験させる学校



まだ間に合うと思いますので投稿させていただきます。

センター試験を受けてメリットがある人
①国公立大を受ける人(必須)
②学校から推薦書をもらって受験に挑む人
③センター利用枠が極めて多い私大を受ける人

逆にデメリットになる人
上記以外全ての受験生

であります。

にもかかわらず、高校は「大学を受ける者はセンター試験を受験するのが義務だ」と言わんばかりにその受験を押し付けてきます。

今年も多くの受験生が、センター試験の申し込みを強要されました。

センター試験制度そのものに異は唱えませんし、良問の宝庫だという事も充分に認めます。

私の専門分野である現代文に限って言えば、感動すら覚える見事な設問に出会う事もしばしばあるほどです。

しかしながら、第一志望が私立大学である場合、センター利用はほとんどが不利です。

国公立大受験で成功を収めるには、グレードゼネラリストを目指すわけですが、私立難関大学を受験するのであれば、自分の受験科目のスペシャリストを目指さねばなりません。

勉強のやり方そのものが異なってきます。

またセンター利用の募集人員は、大学により異なりますが、せいぜい5人とか、多くて20人程度です。

極端に狭き門になってしまい、受験の困難さを増してしまいます。

にもかかわらず、ほとんどの高校はセンター受験を強要します。

そしてほぼ断りきれずに、多くの生徒が受験申し込みをさせられてしまいます。

この毎年起こる不可解な事象の原因は謎です。

なので私立大第一志望の塾生が申し込みを済ませてしまった場合、「単なる模試のつもりで受験しなさい。特別な対策は決してしないように」と指導しております。

過去にこんな事がありました。

順調に成績を伸ばしてきた受験生が、やはりセンター受験を学校から強要されました。

どうしたら良いですか?と相談されたので、「断っておきなさい」と指導しました。

生徒は「はい分かりました!断ってきます」と返事をしたので、とりあえず安心しておりました。

ところが、

秋の深まった頃より、どうも彼の成績の伸びが鈍化してきました。

もしかしてと思った私が「まさかセンターの対策に時間を取られてるんじゃないだろうね?」と尋ねたところ、「そんな事はありません」と答えました。

しかしいざ蓋を開けてみたら、

彼はセンター試験を申し込まされており、その為に学校が行う補習に参加しておりました。しかも自分の志望校の受験に関係の無い科目の対策にまで時間を割いていました。

彼は、第一志望は言うに及ばず、滑り止めに想定していた大学も落ち、思ってもみなかった下位大学にしか、合格通知をもらえませんでした。

彼の失意の姿は、もう何年も経つのに未だに私の心を苛みます。

センター試験の為に、ペースを狂わされてしまう受験生もいます。

センター試験を受験するなとは言いません。

しかし、センター試験が必須なのか、センター利用枠がどのくらいあるのかしっかり自分で調べ、そして自分の第一志望の個別試験がセンターの傾向に近いのか遠いのかもしっかりと見定めた上で、センター対策をするかしないかを決めてください。

学校の指導を盲信する事があってはなりません。  
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Posted by 仲川学院 │コメント(0)

2018年10月16日 00:53  

雑記 夏目漱石著「こころ」



本日は教育論ではなく、単なる雑記であります。

せんだって実家に帰る折があり、私が子供の頃の書架をのぞく機会がありました。

宇宙戦艦ヤマトのムックや宇宙の謎などの本に混じって、他の何よりも懐かしく慕わしい本がそこにありました。

明治書院刊 夏目漱石著「こころ」であります。

オレンジを基調とした装丁も色褪せ、随分と埃をかぶっていました。

もうどこかへいってしまったものと諦めておりましたが、再会できた喜びに、しばらく手に取ったまま身じろぎもできませんでした。

この本をはじめて読んだ頃の、苦く荒んだ日々の思い出もよみがえってきました。

私がこの本を手にしたのは、15才の夏でした。中学三年だった私は、学校に提出する読書感想文用の図書にこの本を選びました。

選んだ理由は決してほめられたものではありません。単に名作と呼ばれる本を選んでおけば、感想文の評価が高まるだろうという極めて下卑た理由からです。

しかし、この本を選んだ事は正解でした。

自分の生い立ちが、人よりもほんの少し恵まれないだけで、世を憎み人を憎み、自分さえ嫌悪して生きていた幼い自分を、根底から変えてくれました。

「私はその人の事を常に先生と呼んでいた。」

この書き出しに、作品が内包する悲劇の予感と、静かな哀愁を感じ、胸に不思議な予感が満ち溢れたのをよく覚えています。

「先生」と呼ぶ事で、これから描き出す人物への親愛を感じさせ、かつ過去形で結ぶ事で、それらは全て過ぎ去った過去になってしまった事を表しています。

それまでまともな読書などした事の無かった私にさえ、この作品を読みたいと思わせてくれた書き出しです。書き出しの優れた事で有名な漱石の作品群の中にあってさえ、随一と言いきれる書き出しであります。

この本に出会っていなければ、間違いなく私は今とは違った人間になっていました。

もしかしたら、生きてはいなかったかもしれません。

人間というもの、人が生きる世の中というものへの、真実の目を開かせてくれた、私の人生の進むべき方向を指し示してくれた作品であります。

近年、この作品への評価評論は大変に軽いものが目立ちます。

明治知識人の苦悩を描いたとするものがそれです。

この作品には、時代を超えて、人間の真実が描かれています。明治の人間にではなく、今を生きる我々に通じる心の在り方が示されています。

その意味では、単に文学の域を超え、聖書や仏典、またコーランにも肉薄する人類の教科書とも言える偉大な著作です。

その事を、現代の読み手も感じ取っているのでしょう。新潮文庫版の発行部数が、昭和27年の刊行以来、累計で700万部をはるかに超えたそうです。

大正3年に書かれた当時からベストセラーであったこと、加えて新潮社以外にも多くの出版社が刊行している事を考えると、一体どれほどの総発行部数になるのでしょうか。見当もつきません。当てずっぽうですが、数千万部に達するのではないでしょうか。

人間の社会が続く限り、この本はこれからも人間と共に在り続けるでしょう。

本作で解き明かした人の心というものの本質を、さらにそれを超えて「良く生きる」とはどういう事なのかを解き明かすべく創作に打ち込んだ漱石は、しかし志し半ばで命を落とします。

享年49才。

後世の人々は「近代100年最大の国民作家」の称号を漱石に贈りました。  
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