2018年09月06日 02:06 カテゴリ:子育てカテゴリ:勉強カテゴリ:塾
ふざけるな
9月になりましたら余裕ができて、またブログが書けるなあと思っていたのですが、有難い事に(?)そうはならず、多事多難な日々を送っており、本題のブログがなかなか書けません。
楽しみにしてくださっている、ごく僅かな皆さん、申し訳ありません。
気づけば今日も夜中の1時を随時過ぎてしまいました。
しかしながら猛烈に腹が立って眠れやしませんので寄稿させていただきます。
したがいまして私は怒っておりますので、文中にはかなり不快な表現を含みます。
最初に文字だけ大にしてお詫びしておきます。
申し訳ございません
いや、すでにタイトルからして酷いですね。申し訳ない限りです。
さて、何を怒っておりますかというと。
とある障害を持つ子の自傷行為があまりにひどく、私自身も心を痛めておりましたが、謎が解けました。
その子を迎えに行ったところ、親御さんがその子に正論で説教していました。
実に立派な、誰が聞いても正しい事を言っておられます。
また、その子の関係者会議の座長さんも、100人が聞けば100人が賛同するであろう立派な方針を打ち立てておられます。
「どんな苦しい事も最後までやり遂げられる子に」と。
ですが101人目の極めてヘソの曲がった三文馬鹿の私だけはこうです。
「ふざけるな。いい加減にしろ」
人間、確かに何度かは死にものぐるいで何かを乗り越えなければなりません。
しかし毎日毎日死にものぐるいの努力を押し付けられて、それを十数年も絶え間無く続けて来た人間など居ません。
少なくとも会議に集まった人間達の中には一人もいませんでしたし、もちろん私にも無理です。
自分たちにも出来ない事をなぜ「障害があるから」という理由だけでその子に押し付けねばならないのでしょうか。
ここまで追い詰めれば自傷に走るのも当たり前ですし、自傷で済んでいるうちはまだしも、どこかかから飛び降りるという発想がその子に芽生えてしまった時は全ての終わる時です。
母親も座長さんも立派な方です。社会的にはこれ以上無いご立派な方々です。
ですが子供を駄目にしてしまう親と根本的な部分で共通してしまっています。
「生きる事は楽しい、生まれてきて良かった」という生きる上で最も大切な土台を子供に与えていないという点で。
これが無ければ、しつけも社会規範も勉強も全て何の意味もありません。土台の無いところに立派な建物を建てようとしても無理なように。
私は、親の、とりわけ母親の愛情には論理性は要らんと思っております。
世の中には様々な理由で父親と母親を兼ねなければならない方々が決して少なくは無い事を承知で言いますが、
それにしても子供を問答無用で愛する事の方が先です。
しつけや社会規範はその後で教えれば充分です。
我が子が勉強しない、努力しないと嘆く前に、ご自分が我が子に充分な愛を与えたか、生きる土台を作ってやったのか、今一度振り返ってみましょう。
繰り返しますが、生きる土台とは「生きている事は楽しい」という感覚です。
そして自分の痛みや苦しみを、親が分かってくれているという安心感です。
これが得られた子は、困難に立ち向かっていける人間になります。
逆に無ければ、人生の前半を大変に苦戦しながら生きねばならなくなります。
勉強どころではなくなってしまいます。
励ますという事は「頑張れ」と言うことではなく、苦しみを理解してやる事だからです。
Posted by 仲川学院
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